郷土の歴史や文化、郷土料理などをご紹介。
「自然と伴に歩む屋久島の歴史」
屋久島の誕生は今からおよそ1,400万年前の新生代期に遡る、マグマ活動により花崗岩が隆起して出来た島が屋久島である。当初屋久島は日本列島や朝鮮半島と地続きであり、その後種子島と伴に分離、さらに種子島と分離した。この分離の時期により植物や動物の移動に伴う流入がなされ、今の屋久島の生態系を成していると考えられる。
屋久島の人の歴史はおよそ6,000年前の縄文時代前期より始まる、この頃の複合遺跡が一湊松山で発見され、4,000年前、縄文時代後期の遺跡が安房横峰や各地で発見されている。以前の物が無いため不明だが、屋久島は鬼界島の大噴火に伴う幸屋火砕流6,300年前に飲み込まれ、この時に生物の大半が死滅したと考えられているので、これ以前の人の歴史があったとしてもここでついえていると考えられる。
ここから屋久島の人の歴史は自然の歴史と交わり始める。
この頃の屋久島人はサルやシカ、シイやドングリの実、シャリンバイなどを中心に食していた事が遺跡からわかる、日本人は近年までサルを食べていたので不思議ではない。主食はドングリやシイの実のようであり、貯蔵庫も出土している。
この後の屋久島人は「日本書紀」およそ1,400年前に登場して全国に認知される事になる。この後飛鳥朝廷などとの交流も深く、屋久島は中央との交流が深まって行った。この頃の屋久島は「掖玖」、「夜勾」と書き「ヤク」と読まれた、この後「益救」となり、これが今の益救神社(宮之浦)の名前の由来となっている。
屋久島にはいろいろな歴史、文化、料理が伝り続る。
屋久島の近代の歴史は屋久杉とともにあった。
もともと屋久島の人は屋久杉には神が宿るとして神聖視してきた歴史がある、そもそも日本人は古木に神が宿ると信じて御神木として神聖視してきた歴史がある。屋久島で最初に屋久杉が切られたのは今から420年程前に遡る。当時の権力者、豊臣秀吉が京都に方広寺を建てるため全国より銘木の類を徴用したのが始まりとされる。
記述によると宮之浦の奥地にて伐採された大屋久杉の記載があり、近年迄はウイルソン株とされてきた、ただ伐採時期と周辺環境が不一致な為疑問が残る。
その後島津家の財政難により、屋久島の屋久杉が年貢として納めるよう沙汰があり、島民の反対の中、「泊如竹」により島民の説得がなされ伐採するようになった。泊如竹はもともと僧侶で本能寺で修行された、その後儒学や朱子学を学び伊勢国の大名に招かれる。晩年は故郷の屋久島の安房に帰り、地元の民の為に尽力されている。
如竹神社(泊如竹廟、安房)
屋久島の聖人「泊如竹」、屋久島の安房に1,569年生まれる。
安房の本仏事に僧となり、京都の本能寺にて法華教を修行した。
後に伊勢の藤堂家へ招かれ、その後島津へ招かれる。
島津家とは薩摩藩の事、当時は薩摩藩と言う言葉は存在しない、・・家と言うのが正式、「藩」と言う言葉は明治に作られた言葉である。
如竹翁碑
如竹は島津家の命により、屋久島の人に屋久杉を切るよう説得をする。屋久杉には神様がおられる、「全てに屋久杉に神様がおられるわけではない。屋久杉に一晩斧を立てかけ、翌朝倒れていれば神のお告げで切ってはならない、倒れなければさもあらず。」として伐採を進めている。
泊如竹銅碑と如竹伝碑
泊如竹は学の高い偉人でいろいろな学問を学び、各地で抗議している、亡くなる八十五歳まで儒学や朱子学を説いた。
安房では地元の水不足の為、明星岳より用水路550メートルを建設し、安房住民を助けた。
泊如竹は僧侶の為、終生独身で妻子がいない。如竹の兄弟の子孫は存在し安房に数件の泊家がある。その1軒が私の叔父にあたる泊照夫である。如竹神社は安房の住民の宝であり、如竹祭りや十五夜祭りなどが行われ、神社も大切にされている。
屋久杉伐採の歴史
屋久杉伐採の始まりはおよそ420年前に遡る。
上記記載の通り豊臣秀吉に起因する、また島津家の財政難によるところが大きい。
屋久杉は伐採するのに、7人で10日程かかるとされる。
また伐採した杉を平木(幅10センチ、長さ60センチ、厚み4ミリ)に加工して屋根材として大阪などに売られた。加工するのには10人で10ヶ月を要したとされる。
現在も使用されるトロッコ軌道
屋久杉はもともと斧で切られたが、昭和31年頃から大型チェーンソーの導入により大がかりに伐採された歴史を持つ。
屋久杉伐採跡地の利用ヤクスギランド
屋久杉の殆どが江戸時代に伐採され現存が少なくなっている、とよく言われる、はたしてそうだろうか?1本の屋久杉を加工するのに10人で10ヶ月もかかった江戸時代、冬期は積雪で入山出来ないことを考えればそれ程切れない。明らかに現代のチェーンソーによるものと考えるのが自然である、屋久杉の減少は近代の私達の責任に起因するのではないだろうか?
現代では1,000年を超える物のみを「屋久杉」と呼ぶ、厳密には間違いだろう。もともと屋久杉は年数を数えていた物ではない、屋久杉の屋久杉たる由縁は緻密な年輪で、長い歳月と伴に樹脂を蓄積し、その量が通常の杉の約8倍にもなり、腐りにくい木に変異したものを言う。したがって腐らない緻密な杉が屋久杉で1,000年超えたら屋久杉と言うものではそもそもない。
実際に屋久杉工芸品の材料も1,000年以下の物がかなり多い。
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